第玖話:私の名前は黒紫赤(こくしせき)って云うんですぅ
「ねえ、雁乙(がんいつ)」
甘く囁くような声で、彼女は愛しい人の名を呼ぶ。
「甲染や甲子鏡を倒した玄奘三蔵が、近くまで来ているんですって」
「そうか。早く会いたい。甲染たちに勝ったことにも興味がある。琵琶乙女(びわおとめ)、きみもそうだろう?」
雁乙が琵琶の弦を鳴らす。
「ええ、とても! 強いのよね。食べるのが楽しみね。私たちの願いも叶う!」
楽しげな音楽が琵琶から発せられる。雁乙は手を止める様子なく、爪弾き続けた。
闇夜の月だけが聴く軽快音。
蝋燭の灯りに照らされ、仲睦まじい二人は身を寄せ合う。
金の装飾が美しい白琵琶から、再び声がした。
「雁乙、ねえ、くちづけをちょうだい」
雁乙僧正は、手持ちの琵琶に―……琵琶乙女に触れるだけのくちづけを落とした。
「……けち」
琵琶乙女が物足りなさから雁乙を睨むが、彼は微笑むだけだった。
ところは乙午寺(おつごじ)の雁乙の私室。
琵琶乙女はぷいっと横を向きたい気持ちを抑えたが、拗れた思いは口をつく。
「抱き締めて」
雁乙に全てを委ねるように、琵琶乙女は囁いた。
今の天気を口にしてみよう、と思い立った瀬玉は言う。
「晴れ間に少し雲。雲の流れは遅い。ふつーの空。風は強くもなく弱くもなく、冷たくもなく温かくもなく」
「だからどうした」
「どうもしない」
「口を閉じろ」
「はい」
瀬玉の突発的な暇つぶし対処法を心得ている玄奘三蔵は動じることがなかった。淡々とことを終了させる。
乙午寺のある町にやってきた二人は、寺を目指して歩いていた。町中では露天商が点在する通りに入ったところで、景気のいい声が飛び交っている。
「そこの、迷彩柄が似合うお嬢さん!」
活発な声が瀬玉へ届く。今日の彼女は、トップスが迷彩柄だった。
「ドッグタグをアクセサリーにして、コーデを一段アゲてみない?」
「えー。どうしようっかなぁ。お財布の紐を結んでいるのは私じゃないしぃ」
多少自由になる金は持っていたが、基本的には三蔵を通して買うことにしている。瀬玉のへそくりは紙幣などではなく身につけている貴金属だ。
サングラスをした店主は三蔵に売り込んだ。
「じゃあお坊さん彼氏!? 買ってあげなよ! 今ならオーダーメイド品も安くするよ!」
「彼氏じゃねえ。買わねえ」
「軍部で使われているドッグタグは、おしゃれにも使われるようになったしー……」
途中から声を小さくして、三蔵にだけ聞こえるように店主は囁いた。
「彼氏が彼女に贈れば所有欲をくすぐるだろう?」
「彼氏じゃねえっつってんだろ」
三蔵は端正な顔をしかめた。
「お嬢さん、名前は?」
「黒紫赤(こくしせき)っていうんですぅ。でもぉ、今回は要らないかなぁ」
「そう言わず、見てってくれよ、この文字体最高にイケてるだろ!? スッとしたシャープさがさあ!」
「そう言われてもぉ、紫赤わかんなぁい」
店主にあれこれと品を見せられる瀬玉は、ごく簡単に、偽名を口にした。三蔵はなぜ彼女がそうしたのか見当もつかない。始めは、店主を適当にあしらうための嘘だと思った。
けれど、ザラッとした違和感を覚える。
何を今さら整合性を問うことがある?
この巫山戯た女は、いつだって何でもありのマイルールで生きているのに。
本来の名前だってあるはずだ。
三蔵がつけた逶瀬玉という名前以外のものが。
この口でいつも呼ぶ、その名を否定されたわけでもないのに、何故か三蔵の中に一つ影を落とした。
「おい、置いて行くぞ」
「あっ、待って!」
三蔵を追う瀬玉に声がかかる。
「紫赤ちゃん、また来てねー!」
瀬玉は振り向かず三蔵の背中を見続けた。
ドッグタグ売りから離れて、他の露天商の呼び止める声も聞かず、三蔵はひたすら速度を上げて歩く。
「もー!! 何で怒ってるのー!?」
三蔵は笠を目深に被り直し、止まった。視界の先に細い川を挟んて寺が見えた。
「名前……。よくすらすらと嘘が出るな」
「ああ、私、偽名を名乗るのは時にライフワークだから」
「意味が分からねえよ」
「まあ、気にしないで。なんとなーく直感であの男には名前を呼ばれたくなかっただけだから」
瀬玉も寺を目に留め、索敵を開始する。
「甲染僧正は、乙午寺の雁乙僧正に協力して貰ったと言っていたでしょ。妖鏡のことを知ったうえでのことなら、雁乙僧正も敵になり得るかも」
「ああ、その線は考えてる。書物通りなら、この寺にあるのは白琵琶。楽器にも妖力があるかもしれない。悪用していることだってあるだろう」
話し込む二人の耳に、弦の音が聞こえた。
瀬玉の索敵範囲に妖気がひっかかる。
「前から、一人来るわ」
音が近づいてきた。綺麗な音色で、感情が弾けるようなテンポ。そして、どこか甘やか。
音を纏って川の堤防沿いに歩いてきたのは、琵琶を持つ白髪の少女だった。
影がない、と瀬玉はすぐに気がついた。琵琶の形にだけ影がある。
「初めまして。玄奘三蔵様と、その従者の方とお見受けします。否定しても無駄。金糸の髪に黒衣の少年僧とくれば、額の赤いチャクラが見えずとも、このあたりは三蔵様お一人だけ」
「何か用か」
「雁乙僧正が、会うのが待ちきれないと言うので、お迎えにあがったの」
少女の近くで柳が揺れた。
「私の宝物名は『琵琶乙(びわいつ)』。でも、可愛くないって言ったら、今代の雁乙が、琵琶乙女(びわおとめ)って名前をくれたの。だから絶対! 琵琶乙女って呼ぶこと!」
それを告げると、少女は三蔵に微笑みかけ、くるりと方向を変えて歩いて行く。
三蔵たちはそのままあとに続くことにした。
索敵範囲を広げた瀬玉が、乙午寺に十五人の気を捉える。全員が敵、くらいの軽い見積もりをしたが、どう考えてもそのうち一人しか彼女や三蔵と渡り合える者はいなかった。
小さな橋を渡り、朱い門の寺に到着する。『乙午寺』と書かれた板の横で僧が立っていた。
「雁乙!?」
白髪の少女が驚きの声を上げながら近寄る。
「やあ、本当の本当に、待ちきれなくてね」
丸めた頭を撫でつつ、雁乙は苦笑いをした。下がり眉の、人好きのしそうな好青年だ。
「我慢の出来ない人ね……」
琵琶乙女は呆れて寺の中へ一人で入っていく。
「玄奘三蔵様、人払いは済んでいますので、ぜひー……」
三蔵は笠を少し上げ、雁乙と視線を交わした。額の赤いチャクラを見た雁乙は、この少年が最高僧だと確信する。
「いえ、ここで結構です。私の用件は、貴殿が『聖天経文』の今の在処をご存知かどうか」
「『聖天経文』の在処? 三蔵法師だけが持つことを許される経文ですね。それをお探しなのですか?」
「ええ。ご存知か?」
「……いいえ」
雁乙は「知っている」と嘘をつくべきか迷ったが、正直に答えた。困惑をしながら、三蔵をありったけ注視する。
目は死んだような暗さを湛えているが、紫暗の瞳の奥に明敏さを隠していると感じた。僧侶に似つかわしくない、血生臭さや危うさも醸し出している。雁乙が経文の在処を知らないと知った時、僅かに瞳が揺れた。きっとどうしても欲しいに違いない。
自分がどうしても三蔵の肉を喰らって、叶えたいことがあるように。
「経文の在処をご存知ないならば、これにて失礼する」
三蔵が背を向けて歩き出す。
「待って下さい!」
雁乙が制止の声をハッしたが、三蔵は無視をした。
瀬玉は少女のことが気になったものの、三蔵がここに用はないというなら従うのみだ。石畳の上でこちらの様子を伺っていた琵琶乙女は、大声を出す。
「待って! 私は知っている!」
琵琶乙女は寺を出て三蔵に叫ぶ。
「この町に、西から金を積まれて雇われた奴らがいる! だから、もしかしたら、そいつらは知っているかもしれない!」
三蔵は歩みを止め、振り返った。
「経文が今そこにあるとは思えないけど、何か情報が掴めるかも。人間と妖怪の合同盗賊集団よ。場所は、案内出来るわ。一緒に行きましょう」
「いや、案内は結構だ。場所だけ教えて欲しい」
「でも、二人だけじゃ危ないわ」
「気遣いは無用」
「……分かった。雁乙、いい?」
少女に問われた雁乙が頷く。
合同盗賊集団の居場所を説明する少女を見ながら、瀬玉は彼女の来ているワンピースが素敵だな、などと思っていた。金糸の刺繍が豪奢で、白い布地や彼女の白髪に映えている。子供と女性のあいだで揺れる成長が表れているようだ。更に、黒い靴は、金刺繍のラグジュアリーな印象を引き締めている。
次の目的地へと進んでいく三蔵の背を見送る雁乙は、三蔵についていこうとしていたが、琵琶乙女が止めた。
瀬玉は二人に一礼し、その場を離れる。
雁乙たちは三蔵に執着していると分かった。
厄介だ。
瀬玉の勘がそう告げるため、彼女はその直感を信じて彼らを警戒することにした。
その夕方前。
瀬玉たちは盗賊集団の根城に踏み込んだ。
頭領の妖怪を締め上げたが、彼も経文の在処は知らなかった。
「数年前でも俺たちの知らない仕事なら、その時だけの寄せ集めかもな。妖怪だけの集団だったって話だし、もっと極秘だったんじゃねえか?」
頭領は頭にピタリとつけられた小銃に声を震わせながら言う。
「チームアップさせられた奴らかもしれねえ。傭兵のような感じだ。もちろん、本当にただの寄せ集めが襲った可能性はあるが、あんたがそんなに求める経文なら、価値はあるんだろ? それが闇ブローカーの間で聞こえてこないなら、売られたわけじゃないと思うぜ。個人所有になっているんじゃねえか?」
「手に入れるとしたら誰だ? その個人で思い当たる奴は?」
三蔵は氷のような声を出す。今にも引き金を引きそうなほど苛ついていた。
「っ! 知るかよ!!」
半泣きで叫ぶ頭領を横目に、瀬玉は荒れ果てた室内を見回す。幹部の妖怪も人間も、床に転がり呻いて体を震わせており、先程までの諍いの酷さを物語っていた。ひしゃげたパイプ椅子もひっくり返って真っ二つに割れた長机も、室内すべてが滅茶苦茶な配置換え。今まではただの壁であっただろうに、大きなひび割れと鮮血に染まり趣味の悪いアートになっていた。
天井の照明も壊れかけ。不規則に点滅してその場にいる者たちの表情と感情を炙り出している。
三蔵の鋭利な眼光と闇が交互に見えるのだ。盗賊集団の頭領であっても恐怖を感じることだろう。
「そうね、謂われのある経文を所有したいなんて、もちろん素人だって考えられるけれど、分母で言ったら寺院関係者よね?」
さらっと瀬玉が言った答えに、三蔵は目を剥いた。
そうと考えたことはある。
過去には妖怪の紋を持つ者が三蔵法師の一人であったと伝え聞く。
人間でも、妖怪でも、寺院関係者の手にあるのは、あり得る話だ。
僧侶に話を聞き回っているのはそのためでもある。しかし、改めてその聖職者の関与を突きつけられると、驚きを隠せない。
「思考を飛躍させれば、犯人は他の三蔵かーーーーーもしれない。もしくは、正式に三蔵になれないから憧れているだけの僧。経文を持っていたら満足~的な? レアアイテムの所有欲的な?」
瀬玉は三蔵が小銃を持つ手を取り、付け加える。
「あと、究極的には、経文が使えないと意味ないしね? だから、次期三蔵の座を狙える位置にいる人、とか?」
三蔵は小銃を放さなかった。彼女の手が触れていても、このグリップは放せない。
声色を変えた瀬玉が静かに伝える。
「今度から少し探し方を変えましょう。今、寺院関係を当たっているのは間違いではないと思う。でも、もっと絞り込みが必要だわ」
「いや、他の三蔵が犯人とは限らない。基本的に、五つの経文は揃わないように、三蔵は各地に散っている。揃えばとてつもない力がー……そうか、組み合わせで使いたい奴がいるかもしれないってことか……?」
途中から独り言のように喋った三蔵は、糸口を見つけたような心地だった。以前に甲子鏡が取引をすると言った相手は三蔵法師である。
「取り敢えず、もうここには情報なさそうだけど、一つだけ確認をしなきゃ」
頭領の足元に蹲っている男の背に手を置いた。
「ねえ、最初に言っていた、玄奘三蔵はデットオアアライブ。但し、肉体は粗末に扱うな、ってどういうことかしら?」
男は肩から血を流しながら、懸命に命乞いをした。妖怪の証である紋様が血で赤く染まっていく。
「助けてくれ……。俺たちは依頼されただけだ」
「誰から?」
「今朝、琵琶乙女様から……」
「乙午寺に居る少女ね?」
「ああ、上手くいったら、俺たち妖怪にも三蔵の肉を分けて貰えるはずだったんだ。三蔵の肉で莫大な神通力を得られるって……」
妖怪の言葉を聞いた瀬玉は首を傾げる。
「三蔵の肉で、寿命が延びるのではなくて……?」
「ああ、俺たち妖怪の間には不老不死の肉として知られているが、琵琶乙女様は神通力だと言っていた」
「玄奘くん、すぐに乙午寺に行こう」
三蔵は頷いたが、銃を妖怪の男へ向けた。気づいた妖怪が悲鳴を上げる。三蔵の顔が赫怒の色に染まっていたからだ。
「玄奘くん、ダメ! 急いで!」
舌打ちをした三蔵は瀬玉に従い、電気が明滅する部屋を飛び出し、乙午寺へと急いだ。
逢魔時を迎え、照る夕陽は暗い色の雲に飲まれようとしていた。
町中をひた走る二人は、小川に架かる橋に人影を見つける。雁乙と琵琶乙女だった。
「ナメたマネしてくれんじぇねえか。お前ら、もっと前から盗賊集団と繋がっていたんだろ?」
三蔵の問いに、琵琶乙女は悪びれもせず肯定する。
「三蔵の肉体は、どうしても欲しかったもの。地域によっては、あなたたち三蔵の肉は破格の値がついてるんだから」
「知るか。それより、本当にお前らは『聖天経文』を知らないんだな?」
「……心当たりは、ある。でも、教えてあげない。今そこへ行っても、意味が無いから」
「意味があるかどうかは、俺が決める!」
銃の照準を合わせ、三蔵は撃った。琵琶乙女は避けもしない。弾が彼女をすり抜けた。夕闇の中だからといって、三蔵が見間違うはずもなかった。
「玄奘くん、彼女は実体がないわ! 銃弾は効かない! 狙うのは、本体の白琵琶よ!」
瀬玉の指摘に、三蔵はすぐさま銃口の向きを変えた。発砲。しかし、雁乙の法術により向きを変えられてしまい、あらぬ方向へと弾は飛んでいった。
「彼女は強い。気の大きさだけじゃなくて、多分、本体に封じ込められた人間が実写化出来るくらいに力がある。甲子鏡より上のクラス。本体を壊して中身が出るなら、それも倒そう!」
「瀬玉、お前はどっちを相手にする?」
「もちっろん、琵琶乙女ちゃん!!」
瀬玉は投球でもするかのように振りかぶり、手から蒼い炎を飛ばした。相対する琵琶乙女は本体の琵琶を掻き鳴らす。
「狂い咲け! 耳壊の音(じかいのね)!」
音を聞いて、瀬玉はめまいを覚えた。それは一瞬のことで、三半規管が強い瀬玉には特に攻撃の手を緩めるほどではなかった。
けれど、三蔵は頭を押さえながら膝をついてしまう。
「玄奘くん!?」
「来るな! 早く倒せ!」
三蔵は視界を始めとした感覚が正常な状態に戻らずとも、雁乙に向けて撃った。
「銃は効きません」
二度目の銃弾無効に、三蔵は舌打ちをしながら接近戦を挑むことにした。
「『聖天経文』の情報を寄越せ! さもなくば殺す!」
「私には、あなたの肉を食み、力を手に入れる必要があります。殺さない程度に加減出来るかは自信がありません」
「何だと……ッ」
雁乙は複雑な印を結び始める。三蔵は法術はからっきし使えないが、知識はあるのでどんな攻撃が飛んでくるのかは読めた。
発火だと気づいた三蔵は後ろに跳躍する。彼が居た場所をすぐさま炎の舌が舐め取っていく。
三蔵は舌打ちをせずにいられない気持ちを隠さず、雁乙を睨んだ。
「……不老不死ではなく、力が必要なのは何故だ?」
「それは……琵琶乙女のため。彼女を再び、この世に甦らせるためだ!!」
雁乙は再び印を結び始め、三蔵はその隙にと銃弾を浴びせる。
二人の僧侶が火花を散らしていたころ、二人の乙女は。
「琵琶乙女ちゃんのワンピが素敵だから、私もワンピ着て戦いたかったーー!!」
と、瀬玉は叫びながら琵琶乙女に掌底を浴びせようとしていた。
「知らないわよそんな事情!?」
琵琶乙女は避けようとしたが、瀬玉が捕り逃すはずはない。琵琶乙女の実写をすり抜け、白琵琶に一撃が入った。
「きゃあああ!? 痛い!!」
痛がっている間に、白琵琶は瀬玉の手中に落ちる。琵琶乙女は少しだけ距離を取り、夕陽が沈むのを確認した。
「私、本体を抱えていなくても、琵琶が弾けるの」
「何その便利さ! 私、ぶっ飛んだ曲が聞きたい!」
琵琶乙女は薄く笑いながら歓迎の意を表した。
「ええ、いくらでも聞かせてあげるわ、死のレクイエム!」
弦の音が響いた途端、瀬玉は笑顔で「ごめん!」と言って本体に火を放った。蒼い炎が燃え盛る。
「きゃああああ!!?」
「あはは、今は演奏会してる時間じゃなかったよね! また今度があったら、聞かせてね♪」
「あんた最低な女ね!?」
琵琶乙女の罵倒など気にせず、瀬玉は白琵琶の正面にある半月という部分に膝を打ち込んだ。
「痛い……! でも、これくらい、我慢する! 絶対に、あんたを倒して、三蔵が持つ神通力を私たちのものにするの!!」
琵琶乙女は涙ながらに瀬玉へ突っ込んできた。
「さっき向こうから聞こえてきたけどさあ、琵琶乙女ちゃん、本体から出てきてどうするの?」
「実体を持って、抱き締めて貰うの! 私たちは恋人だもん! そして、雁乙のお嫁さんになるんだから!!」
瀬玉は驚いたが、すぐに感情を切り離し、口を開こうとした。
その時、白琵琶が勝手に旋律を紡ぎ出しす。切ないメロディーに甘い艶やかさがあり、今にも弾け飛びそうだからありったけ抱き締めたくなような。
そう、これはきっと恋の曲。
「私の本体、返して!」
「返してもいいけど……って、わっ!?」
瀬玉はその場に倒れ込む。手を上げようとしても上がらず、目を閉じようとしても閉じられず、口からも鼻からも息が出来ない。頭の中で琵琶の曲だけが木霊し、わんわんと鳴り響く。
「私のこの曲はね、二段構えなの。会った時に聞かせてあげたでしょ? 遅効性の一曲目が効くころに、この二曲目を聞かせれば、どんな人間も妖怪も、神経攪乱されて動けなくなるんだから!」
遅効性、という説明で瀬玉は得心がいった。だから盗賊集団への襲撃をさせられたのだ。時間稼ぎのために。
瀬玉に現れた症状は、三蔵にも出ていた。彼も地に転げ落ちている。
「雁乙、三蔵法師を押さえて!」
言われるまでもなく雁乙は懐から縄を出し、苦しむ三蔵の両腕を縛った。それを見届けた琵琶乙女は、瀬玉に止めを刺そうともう一曲弾こうとする。動けずに体を震わせる敵に、慈悲はない。
目の焦点が合っていない瀬玉に聞かせる曲を決めた。
本体が音を紡ぎ出した瞬間、瀬玉の姿が消える。何が起こったか分からない琵琶乙女に、雁乙が声をかけた。
「上だ!」
琵琶乙女は慌てて上を向く。確かに、小さく瀬玉の姿が見えた。
瀬玉はまだ完治していなかったが、自律神経系の攻撃は緩和されていた。ただ、まだ息が出来ない。このままでは死ぬ。
跳躍は出来たものの、まだこの上空から落ちていくまでの間に上半身を回復させ、地上の敵を倒し三蔵を救わねばならない。恐らく同じように酸素が吸えない三蔵があとどれくらい保つか? 瀬玉より耐性がないであろう彼を回復させる方が先か。
視点が結ばれ、瀬玉の視界に夜空が見える。乙午寺も見えた。寺の者たちを巻き込んででも、雁乙たちの足止めになればいいと考える。
……否。
何が何でも切り抜けろ。
被害は最小だ。
自分はどう訓練されてきた?
神経攪乱攻撃など、一分以内に回復させろ。
思い出せ、自分が何者で、何が成せるかを!
逶瀬玉は降下中に両手を喉に当てた。必死で声を絞り出す。
「あ」
掠れるほど小さな声。やわな治癒力だ。兄弟子の足元にも及ばない、ほんの僅かな奇跡。
けれど、今はそれで充分だった。
「阿!!」
彼女には、声が出せれば勝機がある。
法術で謂うところの呪印は脳内から空間に描け、声を媒体として発動させる音声術の使い手だからだ。実際の呼び名は少々違うが、それはまた別の時空の話。
空間全体を震わせるかのような彼女の第一声は、衝撃波となり、辺り一面を薙いだ。
衝撃で立てなくなった雁乙は、地に膝をつく。三蔵の体が転がり、雁乙から少し遠のいた。琵琶乙女は本体である白琵琶を浮かせ、雁乙の方へ走り出す。
瀬玉は着地とともに大きく息を吸い込んだ。
琵琶乙女は瀬玉の攻撃を恐れ、半狂乱で弦を掻き鳴らす。
「そんな音、この声で壊してやる!!」
発動のタイミングは瀬玉の声。どんな言葉であっても、彼女の好きなタイミングでこの世に理を作る。
破壊行為の構成を頭の中で編む。そして、それを開放するキーは瀬玉の声。
壊してやる、のタイミングで音波が生まれ、琵琶乙女を振動させた。琵琶乙女は身体中が弾け飛びそうな衝撃に悲鳴を上げて倒れる。
「琵琶乙女ちゃんは、いわゆる音響兵器よね。厄介だわ~~」
倒れた琵琶乙女に雁乙が駆け寄る。瀬玉は二人を放置し、三蔵の元へ急いだ。頭の中で治癒の構成を編み、三蔵の気道を確保した。彼の喉と頭に手を当てる。
「玄奘くん、息をして!」
その台詞が発動の鍵。
術は成功していると手応えを感じたが、三蔵の反応はなし。胸が呼吸で動いていない。
少し遅かったと悟り、瀬玉は人工呼吸に切り替える。気道を確保して彼の鼻を摘まむ。口から息を吹き込み、その息が三蔵の胸を動かす。もう一度息を吹き込むが意識は戻らない。すぐ心臓マッサージをした。
「玄奘くん! 私の声が聞こえる!? 玄奘くんッ!!」
もう一度人工呼吸を試みようとしたが、すぐ近くに気を捉えた。こちらを向く瀬玉の目に、雁乙が映った。
「三蔵と一緒に死ね!!」
短剣を振りかざす敵に、瀬玉はすぐ反応し、白刃取りをしてから短剣を弾く。接近戦も仕込まれている彼女には、容易いことだった。
「邪魔するなら、一旦退場して! 光白刃!!」
瀬玉が編んだ音声術は、光の刃を顕す理。雁乙が袈裟懸けに切り裂さかれ、方々に血が飛んだ。
「雁乙!? いやあああ!!」
絹を裂くような琵琶乙女の悲鳴が上がる。
同時に、三蔵が大きく咳き込んだ。
「が、がはっ!!」
「玄奘くん!」
三蔵の呼吸が戻ったのなら、あとは心置きなく暴れれば良い。瀬玉は琵琶乙女が攻撃をする前に、彼女を撃破しなければならなかった。
もしも瀬玉が琵琶乙女であったなら、敵の脳か内臓を壊するすべを開発していて、それを実行するからだ。
「黒椋鳥!!」
瀬玉は鳥の形をした破壊音波を放つ。琵琶乙女は勘違いをしたらしく、雁乙を庇う姿勢を見せた。自分に実体のないことを忘れた、咄嗟の行動だろう。
瀬玉の狙い通り、白琵琶本体が衝撃を受け、ボロボロと崩れ始めた。実写の彼女が苦悶の表情を浮かべ、色が薄く消えそうになる。
「琵琶乙女ーーッ!!」
雁乙は自分の傷を気にもせず、琵琶乙女の手を取ろうとした。取れる訳がない。
「雁乙! いやよ、私、死にたくない……! あなたに、抱き締めて貰うこと、諦められない!」
「琵琶乙女、大丈夫だ、今から三蔵を喰い殺して、必ずお前を……!」
雁乙が言い終わる前に、琵琶乙女の実写は消えた。その直後に白琵琶は塵になって地面に落ちる。
混乱している雁乙を警戒しつつも、瀬玉は三蔵の様子を伺った。目を瞑り、荒い息をしている。三蔵の腕の縄を解き、彼の髪を撫でた。
「玄奘くん、大丈夫?」
「……ああ」
自由になった三蔵は、立とうとしてふらつく。
「まだ動かない方がいいよ」
「んなこと言ってられる状況か」
三蔵は背を震わせて泣く雁乙を見据えた。小銃も錫杖も手放してしまった。落ちているところまで取りに行くより、接近戦で倒した方が早そうだ。
すると寺の方から声がした。他の僧たちが騒ぎに気づいたのだろう。少し離れた場所の住民たちに知られるのも時間の問題だった。
三蔵が目で合図を送り、瀬玉は頷いた。二人で一斉に雁乙へ飛びかかる。
雁乙は捕まるものかと暴れ、瀬玉の腹に足を放った。瀬玉はそれを左手で制し、そのまま持ち上げる。バランスを崩した雁乙へ、三蔵が馬乗りになった。
「ここまでにしとけ。俺は喰われてやるつもりは、微塵もねえよ」
「……琵琶乙女を諦めるつもりも、私にはない。お前を殺して、喰って、琵琶乙女をこの手で抱き締める。それが、唯一の願いだからだ」
「もういない」
「……恨むぞ、三蔵法師、そして、女。私はいつかお前たちを殺す」
「そう言われて、逃がすと思うか?」
玄奘が半眼で問うた時、雁乙は大きく口を開けた。
「阿吽!!」
雁乙は声の音波で三蔵を吹き飛ばした。瀬玉は耐えたが、まだ雁乙は阿吽を連呼している。
中和させるために、瀬玉はすぐ雁乙の声から周波数を導き出して自分の声を重ねた。
「アーーーーーーー!!」
音波同士がぶつかり合い、瀬玉と雁乙の間で地面が壊れた。ひび割れた土に三蔵が足を取られる。
すぐさま瀬玉が三蔵に手を伸ばすが、僅か届かない。
今度は三蔵が雁乙に馬乗りにされる番となった。
「死ね!!」
対素手ならば、三蔵にも心得がある。雁乙が振るった腕を避け、彼の鳩尾に拳を二度放った。隙が生まれた時、三蔵は雁乙の腕を捩じり上げる。
「……『聖天経文』の情報を言え」
「断る」
「殺すぞ」
「構わない。もう彼女のいない世界だ。お前を殺す以外、生き甲斐がない」
「……甲子鏡は」
三蔵は先日の出来事を思い出しながら、雁乙の目を見た。
「俺に鏡本体を壊せ、と言っていた。そうしたら中から出られる、と。琵琶乙の本体が出てこないのは、塵になったからか?」
「いや、手順が違う。塵になったせいもあるかもしれんが、本来は代々『雁乙』を継ぐ私の法力を持って解呪すれば、宝物に閉じ込められた人間―……いや、妖怪に落とされた者も居るが―……琵琶乙女は出てこられるはずだ。ただ、私の力が及ばず、解呪が出来なかった。だからこそ、お前を喰らい神通力を得ようとした」
思わず、三蔵は溜め息をついた。
「話がちげーよ。徳の高い坊主を喰って得られるのは、不老不死か長寿だろ?」
「それは妖怪の間にある一般的な幻想論だ。一部の人間の間では、巨大な神通力が得られると言われている。そう触れ込む僧侶が居たともっぱらの噂だ」
「傍迷惑な嘘だ」
「……嘘、か。私と琵琶乙女はそれに縋るしかなかった」
悔しそうな顔をする雁乙に、三蔵は冷たく言い放つ。
「嘘や噂で同族殺して喰って、何も無かったフリして抱き合えるのか? 随分と身勝手な幸せ者だな」
雁乙は二の句を告げず、歯がみした。
「その図太さがあるなら、もっと別の方法で強くなれただろうな」
そして抱いてやれただろう、とは言わなかった。
「……もう、遅い。殺せ」
その言葉で三蔵の瞳に暗い炎が灯る。
「あ、待って! ねえ、信じられないかもしれないけど、琵琶乙女ちゃんが私の脳内に話しかけてきてるの! 玄奘くんたちには聞こえてないよね!?」
突如瀬玉が言い出したことに、三蔵は驚いて彼女を睨んだ。適当なことを言うな、と釘を刺すように。
「嘘じゃなくて! 私が琵琶乙女ちゃんの周波数を拾えるからかな……? それとも、これ思念波系?」
「彼女は! 何と言っている!?」
雁乙は思わず近づいてきた瀬玉に手を伸ばした。
「えっと、テレパシーそのまま伝えると、怒ってる。めっちゃめちゃ。でも、雁乙を殺すなって泣いてもいる」
瀬玉の脳内で、琵琶乙女は泣きながら乞うた。
「雁乙を殺さないで。『聖天経文』の情報を教えるから、お願いよ」
「えっとね、雁乙僧正を殺さない代わりに『聖天経文』の情報をくれるって」
三蔵は鋭く息をのんだ。瀬玉は聞こえない二人に対して代弁し続ける。
「あのね、丙和寺の僧正が様々な経文を集めているマニアだったって。でも最近、寺ごと燃えて死んだって。……え、死んじゃったの? え、聖天経文も燃えちゃったの!? えっ、それ想像だよね!? 確定じゃないよね!?」
瀬玉は琵琶乙女に尋ねたが、答えは返らなかった。琵琶乙女の思念の限界だったのだろう。
話を聞いた三蔵は、にかわには信じられず、驚きに目を見開いていた。すぐ傍から聞こえる、雁乙の琵琶乙女を呼ぶ声すら聞こえなくなるほど、困惑してしまう。
お師匠様の『聖天経文』が、燃えた可能性がある?
あの御方の形見が?
必ず取り戻すと誓った。
もう、取り返せない―……?
微笑みとともに『聖天経文』を双肩にかけた師の姿がまだ目蓋に焼きついているというのに。
お師匠様―……!
「ぎゃ!! 琵琶乙女ちゃん、声がデカイ!!」
瀬玉が両手で耳を押さえた。
「琵琶乙女ちゃんの最後の言葉です。雁乙、愛してる! って……」
無念の嘆きを始めた雁乙から降りた三蔵は、両の手をきつく握りしめた。
「殺さないでおいてやる。生きて、琵琶乙女のことを覚えていてやれ。あんたが名づけたんなら、それくらい出来るだろ」
虚ろな眼差しで、三蔵は小銃のある方へ向かった。小銃を回収し、次は落ちている錫杖へと歩を進める。
右手で錫杖を握りしめ、左の拳も爪が手のひらに食い込むほど握った。痛みは感じたが、どうにも力が弱められず放置する。
三蔵は瀬玉に見向きもせず、小川沿いを歩いていった。
置いて行かれた瀬玉は、一度振り返って雁乙が泣き崩れているのを見る。琵琶乙女の最期の言葉で、彼は生きてくれるだろうか。三蔵を恨んで、また襲いかかってくるだろうか。
「あの……。私が言えることではないですけど、どうか、生きてくださいね。あなたが命を絶つことは、彼女が望まないことです。あと、琵琶乙女ちゃんを壊したのは私。恨むなら、玄奘くんじゃない」
瀬玉はそう言い置いて、 三蔵の後を追った。
三蔵は怒りの感情を自覚している。自然と歩みが早まった。自分があちこち彷徨っている間に、自分に襲い来る人間も妖怪も殺しているその間に、探し物が永遠に見つからなくなったかもしれないのだ。
月が雲に隠れた。
灯りのない道を、それでも歩くのを止めない。
暗い道程でも歩いて『聖天経文』を取り返し、お師匠様の仇を討つ。
道が見えないくらいで、諦められるか?
……いいや。
この足、この体ある限り、前へ進む。
しかし前へ進む道が、もう無かったとしたら?
進んだところで辿り着けない?
一縷の光も差さない奈落の底に落ちるだけ。
お師匠様は俺にとって、光だった。
光がないから、世界はこんなにも暗い?
だから歩いても歩いても、何も無い?
「玄奘くん」
追いついた瀬玉が、遠慮がちに声をかけた。
「宿に戻るんだよね?」
三蔵は頷く。
「玄奘くん、血の臭いがする。大丈夫?」
「血……? ああ、問題ない」
瀬玉は三蔵の隣に並び、きょろきょろし始める。
雲間から月明かりが現れた。
「拳……。血が出てる!」
「うるさい。このくらい気にするな」
「ううん、手当をさせて。握力かけすぎだよ」
三蔵の左拳に触れようとしたが、瀬玉は振り払われてしまう。彼女は少し怯んだ。拳に握られた怒りと絶望とを、手放させてあげたかった。けれど、またすげなく瀬玉の手は振り払われる。
「玄奘くん、どうしたの? 教えて」
「どうもしねえ」
「経文が燃えちゃったかもしれないことがショックなんだよね?」
瀬玉の問いを三蔵は無視した。
「……丙和寺へ行こうね。お寺が燃えたからって『聖天経文』が燃えたとは限らないし、そもそもそこに在ったかも、まだ分からないし。希望は持とう。諦めなかったら絶対見つかる。これは私の勘だけど、天地開闢に関わるなんて大仰プレミアアイテムはそうそう簡単になくならないよ! きっと大丈夫!」
笑顔を作ったが、三蔵は瀬玉を見ていない。茫洋とした眼差しで前だけを見ていた。しばらく沈黙が続いたが、ふと目を細めた三蔵が足を止める。
「お前……俺に何した?」
「……へ?」
三蔵が無意識に拳を開いて唇に触れた。
「あっ!! あの!! あれね!? 人工呼吸っていう蘇生治療であって! ごめんなさい!! あのね、治療行為です!!」
気がついた時には瀬玉が己を呼んでいた。意識が朦朧としていた時に、自分の唇に何かが触れていた気がしたと、思い出したのだ。
三蔵は顔色を変えず、そうか、とだけ呟いた。
瀬玉は冷静に思い出すと治療とはいえ少し恥ずかしくなってきた。
「瀬玉」
「……はいッ!?」
「明日、丙和寺へ行くぞ。ここから四つも町を越えなきゃなんねえほど遠い。朝になったらすぐ出発準備をする」
「わ、分かった」
頷く瀬玉は、三蔵の横顔を見る。瞳はまだ影を湛えている。けれど、諦めの色まではないように見受けられた。
「二人で探せば、見つかる! 一緒に頑張ろうね! 玄奘くんのお師匠様が、きっと導いてくれるよ」
三蔵は懸命に笑う瀬玉へ顔を向けた。
「玄奘くんが大切に想って求める限り、きっと、運命の糸は繋がっている。そう思うの」
「……」
無言の三蔵に瀬玉は少し焦りながら、それでも言葉を紡ぐ。
「えっとぉ、何というか、きっととか多分とか、曖昧だし、大丈夫って言ってもそうじゃない時もあるけど……。でも、私は、いつか玄奘くんが『聖天経文』を見つけられるって、信じたい」
ぺらぺらと喋りながらも瀬玉は治療の構成を編んだ。三蔵の両手に軽く触れる。
「知ってる? あのね、崖っぷちに立つって状況はまだ落ちてないから大丈夫なんだって。じゃあ落ちない方へ足を出すしかないよね。実は私は空を飛べるから、手段としては前進しなくてもいいっちゃあ、いいんだけど」
流暢な語りで飛行が出来ると瀬玉は言ったが、三蔵は後半を聞き逃してしまった。一瞬言葉が頭に入ってこなくなるほど、目の前の存在が眩しく思えたからだ。無垢で陽気すぎる。
それに人から応援されて嬉しかったことなど、師以外にない。
いま少しでも嬉しいと思ってしまうのは、師に似た温かい光を感じるからだろうか。いや、光明三蔵法師とは別種の【うるさい光】といったところだ。
普段は柔く淡い光に隠して、時に燦々と降り注ぐ陽光になるのが師。
普段から目が合うとキラキラとしたオーラを放ってくるのに、いざの際にもうるさいとしか形容出来かねる不思議発光物体が瀬玉。
目にも心臓にも悪い拾い物をしてしまったが、助けれらているのは自分の方かもしれない。
まだ進める。
うるさい光が隣に在る限り。
「見つけ出す。必ず」
「……! うん!」
それっきり会話は途絶えたが、二人は無事に宿へ戻り、明日のために床へ就いた。
朝になると、三蔵は食事もせず先に町へ出かけた。瀬玉は朝食セットをきっちり食べてから、買い出しへ行き、夕方前にまた宿へ戻ってきた。馬の調達は三蔵がすることになっているが、まだ帰ってこない。少し心配しつつ、瀬玉はナップザックに荷物や着替えを詰めた。
日が落ちる前に出かけるはずだった。
瀬玉は部屋のガラス窓を明けて通りに目をやる。夕食時で賑わう店、呼び込みの声、帰宅途中なのか早足に駆けていく男性。人間世界の、普通の暮らしだ。時代が変わっても続く日常。胸いっぱいに空気を吸う。幾つかの料理の香りに混じって、雨の香りがした。湿気が多いと気づく。明日は雨の降る時間帯があるかもしれない。
視線を通りへ戻した。
手を繋いで歩く恋人たち、眠そうな野良猫、お母さんを呼ぶ子供の泣き声。すぐ近くの存在なのに、嘘のように遠く感じる。
宙ぶらりんな自分の存在。逶瀬玉というカタチ。三蔵に名を呼ばれることで呼吸をするイキモノ。名づけられたことでこの世界に生を得た。ここ桃源郷に存在する境界をアイマイだが引いて貰い、真も誠もお構いなしに彼を死なせないと決めた。
きっと琵琶乙女は、雁乙僧正に命名されて、薔薇色の吐息を漏らしたことだろう。
息をして生きる理由を考える。そんなことに意味はなくても。
考える。
今の瀬玉に出来ること。
元の世界へ帰る前に、三蔵を生かしたまま彼の願いを叶えよう。
そして想いを残さず、逶瀬玉という名前ごと、消えるのだ。
しばらく思考に耽っていると、三蔵が一頭の馬とともに姿を見せた。財布と相談した結果、やはり馬は一頭しか買えなかったらしい。
二人で乗るのを想像し、照れる。昨日のことがあったばかりだ。彼を意識していた。人工呼吸ではなくて、触れたい唇。
いや、すぐ唇は早いだろう。せめて、手に触れたい。ガチガチに固められた拳を包んで、怒りや悔恨から彼をひととき解放してあげたい。
げんじょーくん、ずっと気を張ってるものなぁ…。
と、自分も戦闘時は気を張るが、普段はほぼユルユルで生きている瀬玉は思った。
部屋の扉が開く。三蔵が荷物とともに現れた。
「おかえりなさい!」
三蔵は自分のベッドへ乱暴に荷物を置くと、急に瀬玉の方を向いた。
「ん」
突き出された三蔵の拳を、瀬玉は不思議そうに見るしかない。
あ、もしかして、さっき拳を包みたいとか思ったことが通じたか? と、一瞬勘違いした彼女は両手を伸ばす。
しかし、三蔵は気にせず、短く告げた。
「やる」
「へ?」
拳が開かれ、中からはチェーンがが出てきた。瀬玉の両手は彼の手に触れようとしていたのに、急に銀色の鎖が見えて慌てる。
「は!?!?!!!!!!????」
「声がデカイ。うるさい」
「いや!? だって!? くれるの? 何で?」
三蔵の手が瀬玉の胸元まで来た。瀬玉は恐る恐るドッグタグネックレスを受け取って、プレートに書かれている文字を読んだ。
彼女のフルネーム、つまりは玄奘三蔵が名づけた『逶瀬玉』という名前がアルファベットとともに刻まれていた。
「俺がお前につけた名前だ。文句あるか」
「……ないです。あるはずもなく」
「お前は逶瀬玉だ。どこへ行っても。……忘れるな」
「はい」
どこへ行っても逶瀬玉でいる訳にはいかない彼女の心の声は三蔵に伝えなかった。しかし、この世界にいる限りは、三蔵がそう呼んでくれる限りは、自分の名前を大切にしようと改めて思う。彼に名前を呼んで貰うことにはとてつもない意味がある。
「げんじょーくん! ありがとうっ!! だ~いすき!」
感謝の思いを込めて、瀬玉は満面の笑顔で三蔵に抱きつこうとした。しかし、三蔵は一歩横に動いて避ける。
「……言っとくけど、ソレ首輪だから。暴れ牛用の。俺から離れてチョロチョロすんなよ」
「暴れ牛!? 犬猫扱いとかもあるでしょ!? それも嫌だけど!!」
瀬玉は腹立たしく思ったが、きっと冗談だと思い、すぐ機嫌を直した。
「俺が買ってやるなんて、超レアアイテムだぞ。すぐつけろ」
「はーい」
瀬玉はドッグタグネックレスをつけて見せる。頬がデレデレに緩むのを感じながら、右手でピースを作った。
「……」
「げんじょーくん、何で無言なの!?」
「……いや。馬子にも衣装」
「ふつーに褒めて!?」
文句を言っても、つい嬉しくてにへっと笑ってしまう。対して仏頂面の三蔵は、瀬玉から少し視線を外した。その顔の唇がややへの字になる。
瀬玉には、三蔵の頬がほんのり赤く染まっているように見えた。
「うわ、ぐうかわ~~~! ヤダ、げんじょーくん、ぐうかわーーーッ!!」
「ぐう……かわ?」
三蔵は何を言われているのか分からず、瀬玉を半眼で見据えた。
「語源は知らないけど、多分こーゆー時に使う言葉~~!! 勘だけどね、偶像崇拝したくなるほど可愛いって意味だと思う~~!!」
「アホらし」
三蔵は興味を失ったように瀬玉へ背を向けた。自分のベッドで荷造りを始める。
けれど、まだ「ぐうかわ~~」と叫んでいる瀬玉にばれないよう、少しだけ口元を緩めるのだった。
**はい、外伝夢の時から、一部考えていたドッグタグネックレスネタが、十五年? の時を経て、ようやく活字になりました!! わーい!
外伝の瀬玉さんを知らない方は、そちらも読んで頂けますと幸いです!
皆様、お久しぶりでした!!(喋る順番考えろ)
*2020/03/22
** ……と、上に日付が書いてありますね。三月。ええ、HPのトップで予告したように、五月のゴールデンウィーク中にアップしようとしていたので、春に執筆しました。
ええ、ええ、今は夏。いえ、夏も過ぎて秋です。九月です。
……は???
九月?
闇に病んでいる間に、長月??
はーーーー~~~~~勘弁してよ。人間の一生は短いのよ?
一日に合計で十九時間とか「私、死ぬの?」ってくらい寝ている場合じゃないんですよ!!?
特に八月は毎週末そんな調子で、更に九日間あったお盆休みもほぼ寝たきり生活で、私の八月は体感でおよそ二週間くらいで終わりました。
半月。
GWもそんな感じに寝たきりに近い過ごし方でした。
……意味が分からない。
まあそんな鬱愚痴はもう止めておいて、三蔵の話をします。
格好いい三蔵が書きたかったのですが、見事に失敗している現在は九月十日の夜です。
まだ推敲か改稿するので、もっと三蔵を活躍させたいです。瀬玉さんがやったらめったら強い複数能力者なせいなのと、今回相手が相手なので、三蔵といえば魔戒天浄ぶっ放すくらいしか思いつきませんけれど。
いや、三蔵の格好良さは力の強さだけではないこと、重々承知。
『act.XX burial-玄奘三蔵の章[前編][後編]』で覚悟が決まる前の、玄奘三蔵法師をえがきたいのです。
そしていつかは瀬玉さんとの仄かにラブを……! 書きたいのです!!
もう日付変わる前なので、また明日以降頑張ります。早く皆様にお届け出来るように……します!
**2020/09/10(第二の後書き)
**はいはーい、第三の後書きですよ!!
な~~んで、
【 必死に励まそうとしている瀬玉を見て、三蔵は光に照らされている心地がした。
師に似た光。
普段は柔く淡いのに、必要な時には温かさを伴い強く光るのだ。
歩くべき道が見えた気がした。】
っていう4行を脳内でこねくりまわしたらどう「うるさい光」扱いになるのか作者の私も判りません!!!
玄奘くん酷くない!?
と、瀬玉さんが知ったら怒りそうですね(笑)。
あと、第二の後書きにある「魔戒天浄ぶっぱなす」ことすらせずにストーリーが終わりましたよ。
驚きましたよ、ええ。去年の私がそんなことを考えていたなんて。
そんでもって、バトルでは三蔵の活躍は増えていないっていう……。
次!! リベンジします!! 多分!
そのことを覚えていてね私!(記憶喪失に陥りやすいから)
この約17,000文字のどこをぶった切ったら塩梅良く分割出来るかパッと思いつかないので、ページは分けずにおきます。
スマホ環境で読みにくい場合は、申し訳ございません。
もし良かったら、次話もお付き合いいただけますと幸いです。
……更新は……いつになるかはお天道様にお尋ね下さい(逃)。
あ、あとあと、瀬玉さんが行使する術の詳細は、次くらいに三蔵が尋ねてくれるかもしれません。訊かれなくても彼女なら自分から説明するかーーもしれませんが。多分ですね、過去の私が忘れていなかったらですね、彼女は術を発動させるために何かしら発声をしているはずなんです、多分。でも無言で出している蒼い炎の方はまた系統が違うモノなのですが。覚えきれない設定を盛るなよ、という感じ。
そんなこんなで、もし良かったら、次話もお付き合いいただけますと幸いです。(大切なことなので二度言いました)
**2021/06/03 up